***成り行き街道***
「しあわせ」とは何か?
或る人は、自分は「しあわせ」だと言う。
或る人は、自分は「ふしふわせ」だと言う。
長い人生には、これらの一方通行はありません。
もし、一方通行の人が居たら、その人は、真から「不幸」な人かもしれません。
人生は、「しあわせ」と「ふしあわせ」が、交互に繰り広げられ、それを味わいながら年を重ねる。
それが人生であり、今現在の環境を見つめて、進むべき道を選び、未知への遭遇を楽しむべきでしょう。
今は「しあわせ」でも、近い時期に「ふしあわせ」が待ち構えています。
今は「ふしあわせ」でも、近い時期に「しあわせ」を呼び込みます。
「しあわせ」への掛け橋、成り行き街道を歩きましょう。
成り行き街道は晴天なり。
そして、道端に咲く大輪の花は、「一生の春」です。
その花を持ち帰り、花瓶に差すと、心の窓に灯かりが点ります。
♪♪♪ 窓に灯かりが点るころ 何時もの道を通りましょう〜〜〜
そして。人生の川にさしかかったら。
♪♪♪ 越すに越せない 浮世の川は 流れて行くしかないのです〜〜〜
人生は「一生の春」?
解かるような解からないような。
不思議な言葉ですね。
しかし、さつきの愛好者なら名花とすぐ分かります。
そうです。さつきの花の名称なんです。
この花は、ピンクの大輪咲きなんです。
ピンク色に底白の優雅な花。
人生の花も、優雅さが必要です。
「一生の春」は、見かたを変えれば、人生の楽園かもしれません。
そんな花を追い求めることが、若さを保つ秘訣にも繋がります。
しかし、なんですね。
人生の相談事で、男と女の絡みが圧倒的に多いのは昔も今も変わりありません。
これは、男から見る眼と、女から見る眼の相違なんでしょう。
浮世の川。
浮いた浮いたの 浮かれ川
浮かれて流れた その川は
生まれた時は 清い水
清い水から 濁り水
過去のホコリが 水に溶け
一寸先も 見えぬ水
こんな見えない 川だとて
流れて行くしかないのです
過ぎた昔を 遡り
泳ぎ疲れた 鯉一匹
見えない水を くぐりぬけ
ふと見たところに 滝があり
上から流れる その水は
清い泉の 水に似て
この水 浸れば生き返る
心の中に 生き返る
地球の上に。
♪♪♪地球の上に 朝が来る その裏側は 夜だろう〜
西の国なら ヨーロッパ 東の国は東洋の〜〜〜
最近の小学生は、太陽が地球を廻っていると思ってるようです。
その率が、なんとまあ、40%にも及ぶそうです。
子供でなくても、誰が見ても、そう見えてしまうから不思議です。
誰でも、地球が廻ってるなんて信じられないですね。
小中学生では、生まれてから一度も日の出を見たことがない人が半数も居るとか。
犬が西向きゃ尾は東。
しかし、最近の犬は何不自由なく生活してますから、動きも活発です。
西を向くには、時間がかかります。
ペットショップで眺めてみるしかありません。
小さな檻の中で、買主の来るのを待っています。
その虚ろな眼は、物悲しさを漂わせています。
立場を変えて、もし犬だったら。
人生恨み節。
いや、犬生恨み節。
人生恨み節。
「生れ落ち 産湯に浸る 肌の色 見えぬ人生 紅に燃ゆる」
人生は、生まれた時から始まり、運命の糸に操られ、絡まれた糸をほぐしながら先に進むしかありません。
♪♪♪ この眼に見えない 定めの嵐 今日も二人を 弄ぶ〜〜〜
「触れてみて 肌で感じる 温もりは ネットの糸の 暖かさかな」
最近は、ネット恋愛も多くなりました。
得に活発なのは、出会い系携帯メールですね。
しかし、これは若者の世界。
高齢者用のはありません。
年は取りたくないもんです。
でも、これは、現代の産物。
昔だったら、若くても使えなかったんですね。
そうです。昔だったら、文通が唯一の手段でした。
これだって、日本国中、自由自在に行動出来ました。
それでも会うには、鈍行列車。
人生の鈍行列車。
終着駅は、まだ先です。
人生の終着駅。
ぐるぐる廻るは 山手線 行って帰るは 京浜線
生れ落ち 人生線の 始発駅
浮世の風に 晒されて
鈍行列車の ベルが鳴る
ベルの響きの 爽やかさ
やっと開いた お眼々には
世間の波が 見えました
波の狭間に 見え隠れ
消えては映す 幻の
あれは 何処何処 何処の駅
幾つの駅も 幻に
始発の駅の朝日さへ
とうに忘れたことでした
窓の景色は 走馬灯
山あり 谷あり 麓まで
下車して 歩いた道のりは
身体に 馴染んだ 万歩計
指針の針は 揺れ動き
あっちこっちに 散りばめた
光輝く 宝石と
想う軌跡は さにあらず
心の隅にしまう石
玉石混合 へだてなく
閉まった 石の並べ替え
打つ手打つ手は 白と黒
五目並べに なりました
五目並べ。
白と黒との ドレスの渦に 人生列車の 夜は更ける
これだと 結婚式か お葬式
人生列車の 走る道
未知の世界に 華々と
意識の壁を 打ち破り
破れ太鼓の 音がする
白の差し手に 黒と差し
黒の差し手に 白と差す
差したその手に 光るのは
浮世嵐の しがらみと
重ねる月日に 忘れ去り
美意識過剰に 酔いしれて
想い起こせば 刹那さと
虚しさだけの 通り道
昔のことは 忘れよと
今のお前で 居ればいい
お前が お前に言ったとて
聞いてくれない 事ばかり
置いてけ堀に 足とられ
拭き差しならない 人生は
富士の裾野に 広がって
夢の虚ろに 消えて行く
筑波の峰が紫に そして 草燃ゆる
チュー太郎は、今いずこ?
♪♪♪ 筑波おろしも 荒川土手を 跨ぎゃ 小暮れる 三度笠〜
顔も知らねえ 瞼の母に もしも会えたら〜〜〜
「夕霞 知らねえ顔が 眼に浮かび 心の窓に 忍び寄るかな」
その昔、街に旭館という芝居小屋があった。
今では、街の人々も、この名前を知っている人は少ない。
子供の頃、ここに掛かる芝居を頻繁に見に行っていた。
或る日のこと、子供ながらに芝居の余韻に浸り、家に帰るとザワザワしていた。
家のものに、「何処へ行ってたんだ!!!」
と。怒鳴られたけど。
それもそのはず、病に伏して寝込んでいた祖母が死んでいた。
お通夜の準備で慌しいところへの、ご帰還であったのだ。
映画館が一つ芝居小屋が一つしか無い時代。
想い出の一駒である。
90才くらいの叔母がいるが。
時代を更に遡ると叔母は若かりしころ、その芝居小屋の切符売り。
看板娘だったそうな。
すったもんだの恋愛騒動の結果、叔父が出来た。
すべては、私の生まれる前の出来事。
昔も今も、恋愛の火種は消えることはありません。